前回は、高校の頃に夢見ていた職業に、チャレンジする事なく挫折したお話しをさせていただきました。現状、成りたかった自分になれている人はどれだけいるのでしょうかね?

私の友人にも、昔に夢見て、想像していた自分とは全く違う現状を過ごしており、30代になった今も、前に進めず苦しんでいる人がいます。

よく、昔はこうだった。こうなるはずだったのに。あの時にこうしていたら・・・と、愚痴をこぼす人がいますが、私には理解できません。

なぜなら、昔の感情と、今の感情を比較しても同じわけがないし、あの時の主観は、時間が経ってみるとどうってことないことだったといゆうことがありますよね?

愚痴をこぼすのではなく、昔の頑張った自分を褒めてあげる。くだらなかったことも「あの頃は何もわからなかったから、とにかく必死で。そんな姿が可愛いなぁ。」「あの時の選択が間違っていたかどうかはわからないけど、きっとあれで良かったんだ。自分なりに精一杯やったはずだ。」と思ってあげた方が素敵だと思うからです。私はポジティブとゆうか、悩むことが面倒なので、愚痴をこぼしている人を見ると、つい「無駄な時間を過ごしているなぁ。言ったところで時間が戻って、希望通りになるわけじゃないのに。」と思ってしまう。

話は変わって、私は看護師になって10数年。いろいろな人と出会い、いろいろな経験をしてきました。働いている間は、毎日が忙しく、目まぐるしい日々を過ごしていますが、時々、ふと看護学生時代のことを思い出すことがある。看護学生の実習では、2年生の途中から、国家試験を受ける3年生の途中までの間に、内科、外科、脳神経外科循環器科、整形外科、精神科、婦人科、小児科、在宅看護・・・と、すべての科を3週間ずつ交替で回っていく。3週間の間は、入院している患者さん1人にずっと付き添い、身の回りのことをさせていただいたり、その患者さんが行う検査や処置を見学、実施させていただく中で、たくさんのことを学び、身につけていく。今思うと、入院中は不安なこともたくさんあるだろうし、時には一人になりたい時もあるはず。それなのに、3週間ずっと、学生が側にいることを許してくれた方々は、なんて優しい人なんだろうと思う。

私が担当した方々や、友人が担当した方の中に、誰一人として「たまには一人にしてくれよ。」と言う患者さんはいなかった。自分が逆の立場だったら、きっと引き受けることはできないだろうな。感謝を通り越して、尊敬してしまうなと思う。